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木曽の森林~木曽五木の保護と地場産業

Chapter 1

現代まで残された森林、
赤沢自然休養林

赤沢自然休養林

赤沢自然休養林は、日本三大美林の一つとして選ばれた森林です。1970年に国内第一期の自然休養林として開園し、1987年からは、木曽森林鉄道の保存運行が始まりました。上松町の南西部に広がる針葉樹林の面積は728ヘクタールに至ります。年間の利用者数は、平均10万人。この森は森林浴発祥の地。健康増進効果も実証された、美しい木曽ヒノキの森として愛されています。
>日本遺産「赤沢自然休養林」を読む

木曽ヒノキとは樹齢300年以上の天然で育ったものを言い、急峻な地形でゆっくりと時間をかけて育った大樹は、緻密で狂いが少なく、建材として寺社仏閣建築に重用されています。また、防虫作用に優れるため、古くから農作業や街道を歩く人に使われた桧笠などの工芸品にも使用されてきました。

赤沢自然休養林

樹齢300年以上の天然木曽ヒノキや多くの木に囲まれて過ごす一時は、都会の喧騒からはかけ離れた、癒しの時間です。木曽にはこのほかにも水木沢天然林(木祖村)や油木美林(木曽町三岳)など、貴重な森林資源が随所に残っています。
>日本遺産「水木沢天然林」を読む
>木曽の森林について詳細を知る

このように現代の私たちを癒しリフレッシュさせてくれるこれらの美しく広大な森がどうして今まで守られ続けてきたのでしょうか。江戸時代に定められた尾張藩の森林保護政策をもって保護されたのが始まりです。

Chapter 2

江戸時代に定められた
厳しい森林保護政策

木曽五木

森林保護政策とは、江戸時代初期に高まった城郭・社寺建築のための木材需要によってもたらされた森林乱伐から木々を保護するために幕府が定めた伐採・出荷の制限を指します。
保護された木は5種類、ヒノキ、アスナロ、サワラ、コウヤマキ、ネズコ、合わせて「木曽五木」と呼ばれました。
まず保護されたのは建材として多く乱獲されていたヒノキでしたが、その後誤伐採を防ぐためヒノキに似ているアスナロ、サワラが禁止され、貴重なコウヤマキ、ネズコがあとから追加されました。その禁を犯した場合は「木一本、首一つ」と言われる厳しい処罰が下されたと伝えられています。
>日本遺産story2で詳細を読む

山村代官屋敷

福島宿場町のふもとには、江戸時代280年にわたりこの地域を治めていた山村一族の豪壮な住まい「山村代官屋敷」があります。 この屋敷の主、木曽代官4代目山村良豊は、木曽の木材の禁伐を課す代わりに、藩から村に支給される御免白木を利用しての曲げ物、漆器、お六櫛など工芸品や木材加工の地場産業を奨励し、産業振興を図りました。
現在山村代官屋敷の建物内には山村家の文化資料・著書・調度品などが展示されており、木材の禁伐という圧制と、木曽の住民が生み出した知恵、その歴史をここで感じることができます。
>日本遺産「山村代官屋敷」を読む

Chapter 3

貴重なヒノキ建築を楽しめる
一石栃立場茶屋

一石栃立場茶屋

妻籠宿から馬籠宿へ向かう馬籠峠の途中に、立場茶屋と呼ばれる休憩所があります。かつては宿泊施設でしたが、現在は妻籠宿を楽しむ旅行者のための憩いの場所として賑わっています。
立場茶屋は主にヒノキで建てられています。ヒノキの伐採を禁ずる伐採禁止令が施行されたのが1650年以降のことなので、建造されたのはそれ以前だいうことが伺い知れます。
据えられた囲炉裏から出る煤によって、木材の腐敗が抑えられたため、現在もヒノキの繊細な木目を楽しむことができます。
また、白山神社も同じくヒノキを建材に使用した建造物です。宿泊施設として一般利用された立場茶屋とは一味違ったヒノキの風合いを感じることができます。
>日本遺産「白山神社」を読む

一石栃立場茶屋
一石栃立場茶屋
Chapter 4

森林保護により発展した
木曽漆器

春野屋漆器工房 伝統工芸士 塗師 小林広幸氏

森林保護政策により、主要な財源を失った木曽農民が新たな産業として取り組んだのが、地場産品の生産です。中でも既得権として藩から村に支給される木材を使った、曲物、漆器、お六櫛などの木材加工品は、中心的な地場産品となりました。

現在の木曽漆器について、春野屋漆器工房 伝統工芸士 塗師 小林広幸氏に、お話を伺いました。小林さんは、伝統を現在に活かすために変化も積極的に受け入れ、木曽漆器のさらなる発展に尽力しています。色とりどりの上塗りのお椀やお弁当箱などの展示品の前に座り、小林さんは木曽の漆工芸の背景や、漆工芸に関する未来像を私たちに語ってくれました。

漆器

歴史と現在

日本の漆工芸には何千年もの歴史があります。木曽の主要産業は、有名な木曽ヒノキを含め、この地域の豊富な木材供給に支えられた林業と木工業でした。こうした資源を活かした漆器の生産は自然と生業となっていきました。
木曽の漆技術の発祥地は京都ですが、ワニスに使用される重要な粘土が地元で発見されてからは木曽漆器として繁栄していきました。

現代では、伝統の伝授はもちろんのこと、職人による挑戦も行われています。黒と赤の染付けが最も有名ですが、中には木目を美しく浮き出させたものや、モザイクのように複雑な色の移り変わりが楽しめるものなど、木曽では様々な色調の漆に出会うことができます。

漆器

塗布工程

歴史について語りながらも、小林さんの手元では緻密な制作作業が進んでいます。繊細さが求められる工程にはチリや埃が上塗りの上に落ちないようにする必要があり、扇風機やヒーターの使用を最小限に留めてもなお、天候次第で漆器の出来栄えが左右されることがあります。
使用前に異物を取り除くため注意深くろ過した漆を複数回塗り重ねる必要がありますが、それぞれ乾かすのに3日から4日かかります。乾燥のスピードは仕上げられた漆塗の強度を決定づけるため、湿気をはじめとする乾燥条件は厳しく管理されています。

漆器

高品質の漆器は安くはありませんが、正しく手入れすれば100年以上も使用することができます。漆には天然の酸と油が豊富に含まれているので、水や細菌に強く抗酸性です。また、一定の高温にも耐えることができます。漆器は間違いなく永久的な工芸品と考えられます。漆器で食べると味さえも美味しくなると言われています!

幕府による厳しい森林保護は、一時木曽の人々を苦しめはしましたが、結果として現代まで続く豊かな木工工芸品が生まれるきっかけとなりました。そうして職人の手によって受け継がれ磨かれた技術が、現代の私たちの生活を彩ってくれています。

Chapter 5

林業の歴史

「林野庁中部森林管理局所蔵」木曽式伐木運材図会・上巻5-元伐之図

「木曾路はすべて山の中である」―
文豪・島崎藤村の小説「夜明け前」の冒頭の有名な一節です。
長野県の南西部に位置し、中央アルプスと御嶽山系に挟まれた木曽地域は、ヒノキをはじめとした美しい森林に覆われた山々に囲まれ、面積の9割以上を森林が占めています。この地域では、豊かな森林資源を活かして、古くから林業が盛んに行われてきました。
今も、かつてこの地域で行われてきた林業の姿を垣間見ることのできる資料が各地に残っています。
そんな場所を巡って、木曽の林業の歴史や昔の人々の暮らしに想いをはせてみてはいかがでしょうか。

>林業の歴史を学ぼう!

「林野庁中部森林管理局所蔵」
木曽式伐木運材図会・上巻5-元伐之図